企画当初、スタジオジブリ側は当代随一のトップアーティストとなっていた松任谷由実に対し、映画のためのオリジナル新曲を正式にオファーしていました。1980年代後半の彼女はアルバムがミリオンセラーを連発するメガヒットメーカーであり、若者文化の絶対的アイコンでした。プロデューサー陣にとっても、彼女の新曲が映画の主題歌になることは興行的・宣伝的に絶大なメリットを持つはずでした。
しかし、制作が本格化する中で壁にぶつかります。当時の松任谷由実は超過密な全国ツアーとレコーディングを抱えており、映画制作の過酷な進行スケジュールと完全に合致させることが物理的に困難でした。さらに重要なのは、映画の主人公・キキが置かれた精神的シチュエーションと、当時の松任谷由実が体現していた「バブル景気真っ只中の洗練された大人の恋愛観」との間に生じた微妙な温度差でした。
宮﨑駿監督が描こうとしたのは、13歳の少女が田舎を離れ、見知らぬ街で居場所を見失い、挫折しながら自立していく等身大の葛藤です。きらびやかな時代の先端を行く新曲ではなく、どこか素朴で、少し背伸びしたいティーンエイジャーの心象風景に寄り添う音が必要でした。そこで制作陣の視線は、彼女が結婚前の旧姓・荒井由実名義で発表していた初期の作品群へと向けられることになります。