阪神淡路大震災から30年|松田昌三医師の死因・現在の状況とあの日からのタイムライン

阪神淡路大震災から30年|松田昌三医師の死因・現在の状況とあの日からのタイムライン

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1995年1月17日、震度7の激震が阪神間を襲った直後から、西宮市立中央病院は野戦病院と化しました。当時の医療現場には、偶然にもMBSのカメラマン(故・坂本義和氏)が居合わせ、日本で唯一とされる「震災当日の医療現場の映像」を記録しています。

松田昌三医師が直面した極限のタイムラインと、その後の歩みを時系列で整理します。

日時・時期 現場の状況と松田昌三医師の行動 災害医療における意味・記録
1995年1月17日午前5時46分 阪神・淡路大震災が発生。西宮市内でも家屋倒壊が多発し、病院のライフライン(水道・ガス・通信)が寸断される。 医療機器やエレベーターが使用不能となり、懐中電灯と非常電源のみの極限状態に陥る。
同日 午前7時頃〜 松田外科部長(当時46歳)が登院。玄関ロビーや廊下に次々と運び込まれる負傷者の対応を陣頭指揮。 震災当日だけで約300人の患者が殺到。そのうち48人の死亡が確認された。
同日 午前〜午後 心肺停止状態で搬送され、蘇生の見込みがない患者に対し、研修医らへ「やめなさい、ストップ!次の人にかかろう」と蘇生中止を指示。 日本で「トリアージ(治療優先度の選別)」という言葉すら浸透していなかった時代の、実質的な命の選択の瞬間。
1995年1月18日以降 不眠不休で処置を継続。クラッシュ症候群(挫滅症候群)など未知の災害特有の疾患に直面しながら、後方病院への転送を手配。 広域医療搬送と災害拠点病院の必要性が浮き彫りになる。
2023年〜2025年(震災30年の節目) TBS・MBSやFNNなどの報道特集に出演。当時の映像を見返し、「医師の心残り」と当時の決断の真意を後世に伝える。 撮影者の遺族や当時のスタッフとともに、災害医療の原点を問い直す証言として記録される。
Sarah Jenkins
Author

Sarah Jenkins

Sarah Jenkins is a veteran tech journalist with over 12 years of experience covering artificial intelligence, mobile innovations, and digital ethics. Her insights have appeared in leading technology publications worldwide.