なぜ両親は罰として豚の姿に変えられてしまったのでしょうか。単なる「無銭飲食」への報復ではありません。日本神話のイザナギとイザナミの黄泉の国訪問(黄泉竈食ひ=よもつへぐい)に見られるように、異界の食べ物を口にすることは「その世界の住人になる契り」を交わすことを意味します。
宮崎駿監督はバブル経済崩壊後の日本社会に対する痛烈な批評をこのシーンに込めました。父親は「お金なら持っている、カードも財布もある」と言い放ち、誰の許可も得ずに神聖な供物に貪りつきます。神仏や他者への畏怖の念を失い、あらゆる価値を金銭で解決できると過信した現代人の傲慢さが、理性なき家畜=豚という姿に直結しているのです。
一方で、千尋は「ここにいちゃだめ、帰ろう」と直感的に食事を拒否しました。この幼い警戒心こそが、彼女が人間性を保ち続けられた最初の分岐点でした。劇中で千尋が自らの意志で初めて口にするのは、ハクが真心とおまじないを込めて握った質素な「塩むすび」です。肥大化した物欲が生んだ屋台料理と、生命をつなぐための素朴なおにぎり。この強烈な対比構造の中に、ジブリ作品が放つ本質的な倫理観が宿っています。