トラブルの発端は、島倉の極端なお人好しさと世間知らずな金銭感覚にありました。元プロ野球選手との離婚後、島倉は知人の手形裏書きや事業の連帯保証人を安易に引き受け、さらには信頼していた専任マネージャーによる巨額の横領と失踪が重なります。1977年頃、島倉が背負わされた負債総額は、利息を含めて当時の貨幣価値で借金4億円(現在の価値で10億円以上に相当)にまで膨れ上がっていました。
連日、興行先や自宅に暴力団関係者を含む強面の債権者が押し寄せ、歌唱活動すらままならない極限状態の島倉の前に現れたのが細木数子でした。銀座で高級クラブを経営し、裏社会の有力者や大物フィクサーとも太いパイプを持っていた細木は、島倉の窮状を瞬時に見抜き、債務の一本化とトラブル処理を買って出ます。「私がすべて解決してあげる」という甘い囁きは、島倉にとって地獄で垂らされた蜘蛛の糸に見えました。しかし、これこそが島倉を長きにわたる隷属状態へと引きずり込む入り口だったのです。