高校卒業後、本格的に新劇の道を志した野沢雅子は名門「劇団東演」に入団します。当時は新劇ブームの全盛期であり、舞台俳優こそが演劇の頂点とされていた時代です。劇団の稽古は厳格を極め、発声、肉体訓練、台本の読解に明け暮れる日々が続きました。
しかし、劇団員としての生活は困窮を極めました。当時の舞台俳優の多くがそうであったように、チケットノルマや稽古優先のスケジュールにより、まとまった収入を得ることは困難でした。野沢もまた、1本のコッペパンを数日間に分けて食べたり、水道水で空腹を紛らわせたりする過酷な下積み時代を経験しています。
| 時代・フェーズ | 主な活動と現場の環境 | 後のキャリアへの影響・エピソード |
|---|---|---|
| 子役時代(3歳〜) | 親族の縁で映画出演。戦前の撮影現場を経験。 | 大人の役者に混ざり、現場での胆力と集中力を体得。 |
| 劇団東演時代(青年期) | 新劇の本格修業。極貧生活の中での舞台公演。 | 徹底した基礎発声と身体表現、役への憑依力を養う。 |
| 声優黎明期(昭和30〜40年代) | 洋画劇場の生放送アテレコ。失敗の許されない過酷な録音。 | 尺に合わせる即応力と、少年役としての唯一無二の地位を確立。 |
野沢は後年のインタビューで、「どんなにお腹が空いていても、稽古場に入れば声が出た。芝居をやめたいと思ったことは一度もなかった」と述懐しています。この劇団東演での泥臭い修練こそが、どんな過密日程にも耐えうる頑強な肉体と、腹の底から響く発声のベースを作り上げました。