「杜」という文字の用途で最も広く知られているのが「杜撰(ずさん)」です。現代のビジネスシーンでも「杜撰な管理」「杜撰な計画」のように、「いい加減で手落ちが多いさま」「粗雑な仕事」を指すネガティブな慣用表現として定着しています。
木や土地に関わるはずの漢字が、なぜ「いい加減」の意味を持つようになったのでしょうか。その答えは、中国・北宋時代(960年〜1127年)の文人・杜黙(ともく)にありました。
詩の定型を無視して暴走した「杜黙の著作」
杜黙は、当時の名高い政治家・文人であった范仲淹(はんちゅうえん)や石延年(せきえんねん)らとも交友があった実在の人物です。彼は自らの詩作に強い情熱を注いでいましたが、致命的な癖がありました。当時の中国の詩には韻律や句法の厳格なルール(格律)が存在したにもかかわらず、杜黙は「自らの感情が赴くまま、詩の規則を完全に無視した破天荒な作詩」を連発したのです。
当代の一流文人たちから見れば、その詩はあまりにも粗削りで規則外れでした。南宋の学者・王楙(おうぼう)が著した随筆集『野客叢書』によると、人々は規律を無視した杜黙の著作をあざけり、「杜黙が作った(撰した)もの=杜撰」と呼ぶようになりました。「撰」は書物を編纂する・著作するという意味を持ちます。つまり、もともとは「杜黙の本のように、規則を外れたいい加減な作品」という痛烈な皮肉が、言葉のルーツだったのです。
「詩の失敗」から「仕事の怠慢」へ意味が拡大
やがて時代が進むにつれ、詩の創作だけでなく「典拠が怪しい著作」「事実関係の裏付けが取れていない文書」全般を指す言葉へと意味が広がり、最終的には現代のように「物事の進め方が大雑把で、欠陥だらけな状態」を総称する言葉へと定着しました。千年の時を超えて自分の名前が不名誉な慣用句として残ってしまった杜黙の境遇は、どこかユーモラスでありながら、記録の恐ろしさを物語っています。