映画『レミーのおいしいレストラン』において、最も観客の心を震わせた場面といえば、冷酷な料理評論家アントン・イーゴが一口のラタトゥイユを口にした瞬間、厳しい表情を崩し幼少期の母のぬくもりを思い出すシーンです。本来、南仏プロヴァンス地方の素朴な家庭料理・田舎料理であったラタトゥイユを、レミーは薄切り野菜を幾重にも美しく重ねてオーブンで焼き上げる洗練されたオート・キュイジーヌ(高級フランス料理)へと昇華させました。
この料理の根底にあるのは、「誰でも名シェフになれる(Anyone can cook)」というオーグスト・グストーの遺した哲学です。豪華絢爛な食材に頼るのではなく、ズッキーニ、ナス、トマト、パプリカといった身近な大地の恵みを、丁寧な火入れとハーブの調和によって極限まで引き出す。この誠実なクラフトマンシップこそが、作中のイーゴだけでなく、世界中の映画ファンや美食家を惹きつけてやまない理由といえます。