『花束を君に』を語る上で避けて通れないのが、実母であり不世出の歌手であった藤圭子への想いです。2013年の急逝という苛烈な別れを経験した宇多田ヒカルは、その後母となり、自身の内面と徹底的に向き合うことで制作へと復帰しました。
かつてインタビューで「母の死を受け止めるプロセスなしには曲が書けなかった」と述懐しているように、本作には絶望を突き抜けた先に宿る透徹した祈りが満ちています。歌詞の中に登場する「言葉じゃ足りない」という諦念と誠実さ。「どんな言葉並べても真実にはならない」と自覚しながらも、それでも贈らずにはいられなかったのが、タイトルにもある「花束」でした。
家庭画報のアレンジメントが強い共感を呼んでいるのは、この「生前の確執や孤独、それでも愛さずにはいられなかった肉親への想い」を、咲き誇る花の強さと萎れゆく命の儚さの対比によって見事に表現しているためです。美しく咲いた花はいつか枯れる。しかし、手渡したという事実と香りだけは永遠に残る――その生々しい感情の機微が、ブーケの空間設計に見事に反映されています。